寛政の改革における「出版統制」を語る上で欠かせないキーワード、行事改(ぎょうじあらため)。
この記事では、この制度が地本問屋同士の事前検閲であったことを結論とし、その仕組みや背景、そして後の「名主改」への移行までを、分かりやすく解説します。
行事改(ぎょうじあらため)とは?
行事改(ぎょうじあらため)とは、江戸時代の出版社である地本問屋(じほんどいや)が、自主的に、そして相互に、出版前の原稿を検閲した制度のことです。
印刷物を地本問屋同士で事前に検閲するのを徹底せよ…この検閲を行事改という。
【出典】Nippon.com
制度化の経緯(寛政2年・20名の連署)
この相互検閲は、松平定信による寛政の改革の中で、正式に制度化されました。
『類集撰要』寛政二年十月二十七日付に、改を担う地本問屋20名の連署がある(蔦重を含む)。
【出典】Nippon.com
この連署には、蔦屋重三郎も名を連ねており、彼自身もこの検閲システムの一員であったことがわかります。幕府の統制に対し、出版業界が自主規制で対応しようとした動きの表れと言えるでしょう。
仕組みと手続き(地本問屋の月番行事)
自主検閲の仕組み
地本草紙問屋仲間の月番行事が、出板前に草双紙等を相互に吟味する
具体的には、地本問屋の中から月替わりの当番(月番行事)が選ばれ、その当番が、組合に所属する他の版元が出版しようとしている絵本草双紙や一枚絵などの内容を、幕府の基準に照らし合わせて事前にチェックしていました。
手続きの流れ
まず版元が下絵(原稿)を行事改に提出し、そこで問題がないと判断されたものが、後の時代には、さらに幕府側の検閲である「名主改」へと提出される、という二重のチェック体制になっていきました。
名主改への移行と、その後の変遷
行事改という業界の自主検閲は、やがて、より公的な検閲システムへと移行していきます。
名主改の開始以降は、絵入読本や草双紙に名主の改が介在し、検閲は町名主へ移行した。
【出典】researchmap
「名主改(なぬしあらため)」とは、町奉行所の監督のもと、町役人である名主が検閲を行う制度です。
この制度は、天保の改革でさらに強化され、その後、嘉永期に再び仲間内の吟味へと戻るなど、時代と共に変遷していきました。
FAQ(よくある質問)
- 行事改とは?
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寛政2年(1790年)に義務化された、地本問屋(江戸の出版社)による事前の相互検閲制度です。
- いつ始まった?
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寛政2年(1790年)に、蔦屋重三郎を含む20軒の地本問屋の連署によって、制度として確立したことが確認されています。
- 何を検閲した?
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主に、絵本草双紙や一枚絵といった、庶民向けの娯楽出版物が対象でした。
- 名主改との関係は?
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行事改という業界の自主検閲は、後の時代に、行政の末端である名主が検閲を担う「名主改」へと移行・強化されていきました。
行事改とは?まとめ
行事改とは、寛政2年に義務化された、地本問屋による相互検閲の仕組みでした。
